記事の要約
- AI OCR導入の課題は、製造記録・検査成績書・SOPなど製造・製薬の帳票で特に表面化します。原因は製品の認識率ではなく、認識率と自動化率の混同、読み取り後の工程の分断、自社固有の様式への未対応、記録の信頼性への配慮不足の4点です。
- 解決策は課題別に分かれます。定型帳票なら既存のAI OCR SaaSで足り、様式のばらつき・MES/LIMS連携・規制対応が重なる帳票はLLMによる補正やカスタム開発が必要になります。
- 化学系製造業・樹脂成形・製薬の導入事例と、GMP省令第20条・ALCOA+の観点からPoCで確かめる項目を整理し、失敗しない進め方を示します。
AI OCRを導入したのに、製造記録や検査成績書の転記が結局は手作業のまま残っている。そのような状況に心当たりはないでしょうか。
本記事では、製造・製薬の帳票でAI OCR導入がつまずく4つの課題を整理し、課題別に既存SaaSで足りる範囲とLLM・カスタム開発が要る範囲を分けて解説します。他社の導入事例と、GMP省令・ALCOA+の観点でPoC時に確かめる項目もまとめました。
弊社EQUESは東京大学松尾研発のAIスタートアップで、製薬の品質保証AIと伴走型の技術開発を事業としています。製造現場の記録をAI OCR化した経験をもとに、現場で実際に起きる課題から逆算して書いています。
目次
AI OCR導入の課題|製造・製薬の帳票でつまずく4つの原因

AI OCRとは、機械学習で画像や紙の書類に写った文字をデータ化する技術です。従来のOCRが登録済みの文字パターンとの照合を基本としていたのに対し、手書きや帳票ごとに異なるレイアウトにも対応しやすいのが特徴です。
行政でも活用は広がっており、自治体のAI活用機能ではAI OCRが該当する「文字認識」が2番目に導入件数の多い分野です(総務省調査)。まずは従来技術との違いを押さえたうえで、製造・製薬の帳票で何が起きるのかを見ていきます。
従来のOCRとAI OCRの違いを表で整理
両者の差は「読み取れる対象の幅」と「改善のしかた」に集約されます。従来のOCRは読取位置の設定を帳票ごとに作り込む必要があり、AI OCRはその作り込みを学習で置き換えます。優劣ではなく、対象書類の性質で適不適が分かれる点に注意が必要です。
| 比較項目 | 従来のOCR | AI OCR |
|---|---|---|
| 認識の方式 | 文字パターンとの照合 | 機械学習による認識 |
| 手書き文字 | 枠内の丁寧な文字が中心 | 崩れた文字にも一定対応 |
| 帳票レイアウト | 帳票ごとに読取位置の設定が必要 | 非定型帳票に対応する製品もある |
| 精度の改善方法 | 設定の作り込み | 学習データの追加・再学習 |
| 後工程との連携 | ファイル出力が中心 | API・RPA連携を備える製品もある |
2026年時点の大きな変化は、読み取りの工程に大規模言語モデル(LLM)が組み込まれ始めたことです。ただし万能ではなく、9種類の文書で手法を比べた評価基準『OmniDocBench』(CVPR 2025採択)では、文書の種類で手法ごとの得意・不得意が分かれると示されています。
参照元:総務省「令和7年度 地方自治体におけるAI・RPAの実証実験・導入状況等調査」(令和8年4月24日公表)https://www.soumu.go.jp//OmniDocBench(arXiv:2412.07626)https://arxiv.org/
製造記録・検査成績書・SOPで起きる4つの課題
製造・製薬の現場で扱う帳票は、製造記録(バッチレコード)、原材料や製品の検査成績書、SOPに紐づく点検表や日報などです。手書き・装置の表示値の転記・取引先ごとに違う様式が混ざるため、汎用のAI OCRが最も苦手とする条件がそろっています。
前掲の総務省調査でAI導入の課題を見ると、人材不足(826件)、コスト(642件)に続き、3番目に「導入効果が不明」(571件)が入ります。この声の多さが、ツールを入れるだけでは成果につながらない実態を示しています。つまずきの原因は次の4点です。
1. 認識率と自動化率の混同
製品が示す認識率は、多くの場合1文字あたりの正解率です。1文字あたり99%でも、検査成績書1枚に50項目の数値が並べば、どこか1文字が誤る確率は無視できません。業務で効くのは「人の確認なしで通過した帳票の割合」である自動化率で、認識率より必ず低くなります。
2. 読み取り後の工程が分断されたまま
読み取りが終わっても、規格値との照合、MES(製造実行システム)やLIMS(試験室情報管理システム)への入力、原紙の保管といった工程が続きます。結果がファイル出力されるだけなら担当者が転記し直すため、工程の一部だけを自動化しても全体の所要時間は変わりません。
3. 自社固有の様式に製品側を合わせられない
原材料の検査成績書は取引先ごとに項目名や単位の書き方が違い、製造記録には通信機能を持たない装置の表示値を書き写した欄があります。汎用的なサービスは幅広い書類を対象とする分、特定業務への最適化には限界があります。効率化の全体像はAI業務効率化の記事もご覧ください。
4. GMP文書では記録の信頼性が問われる
製薬の製造記録や試験記録は、GMP省令で欠落・不正確・不整合がないよう継続的に管理することが求められる文書です。読み取り結果をそのまま記録にすると、誤読がそのまま「正確でない記録」になるリスクがあります。この点は後述の「失敗しない進め方」で詳しく扱います。
AI OCR導入の課題別の解決策|既存SaaSで足りる範囲と開発が要る範囲

ここからは、4つの課題をどう解決するかを考えます。判断の軸は「対象帳票の標準度」「後工程との接続の深さ」「規制・セキュリティ要件」の3つです。既存のAI OCR SaaSは立ち上げの速さと初期費用の低さに、カスタマイズ開発は自社業務への適合と連携の自由度に強みがあります。
| 観点 | 既存のAI OCR SaaS | カスタマイズ開発 |
|---|---|---|
| 立ち上げ | 契約後すぐに試せる | 要件定義から段階的に進める |
| 初期費用 | 抑えやすい | 相応の投資が必要 |
| 対象とする書類 | 製品が想定する範囲 | 自社固有の帳票・装置画面に合わせられる |
| 精度の改善 | 提供元の機能改善に依存 | 自社データでの追加学習が可能 |
| システム連携 | 用意された連携機能の範囲 | MES・LIMS・基幹システムへの直接連携を設計できる |
| 実行環境 | 提供元が用意する環境 | オンプレミス・専用環境も選べる |
既存SaaSで十分に効果が見込めるケース
次のチェックリストにすべて当てはまるなら、既存のAI OCR SaaSから始めるのが合理的です。まずは小さく試し、効果を確認してから範囲を広げる進め方が向いています。
- □ 対象となる帳票が定型で、種類が限られている
- □ 読み取り後の確認・修正を人が担う運用を続けられる
- □ 出力されたデータを人が基幹システムへ入力しても支障がない
- □ 取り扱う情報を外部のクラウド環境で処理してよい
- □ 読み取り結果がGMP上の「記録」そのものにはならない
製品側の進化も続いています。リコーは2025年5月、生成AIが利用者の修正履歴から処理ルールを学習する「適応型AI-OCR」を発表し、受領請求書・納品書サービスに組み込みました。定型の事務帳票であれば、SaaS側の機能改善で解消される課題の範囲は広がっています。
参照元:リコー「適応型AI-OCRを開発」(2025年5月8日)https://jp.ricoh.com/
LLM・カスタム開発を検討すべきケース
一方、上のリストに2つ以上当てはまらない場合は、開発による解決を検討する価値があります。様式が取引先や現場ごとにばらつく、読み取り結果をMESやLIMSへ自動反映したい、処理環境を自社管理したい、という条件が重なるほど既存サービスでは要件を満たしにくくなります。
内製と外注の比較はAI内製化の記事、社外に出せないデータの扱いは生成AIと機密情報の記事が参考になります。
開発で変わる点は、技術・運用・連携の3つに分けると整理しやすくなります。3点がそろってはじめて「入力業務そのものの自動化」に近づきます。
技術面では、LLMによる推論補正が有効です。画像から得た文字列にLLMを重ねると、品目名の候補との突き合わせや、規格値から外れた不自然な数値の検出といった補正ができます。
製薬の製造記録を対象にした研究も出てきました。2025年11月公開の論文では、表・計算・手書きメモが混在するバッチ製造記録をOCRとLLMで構造化データに変換し、実物3件(15〜66ページ)の処理時間を数時間から数分に短縮したと報告されています。自社の帳票での検証は欠かせません。
運用面では、自社専用モデルへの追加学習と調整が鍵になります。開発なら、自社で蓄積した帳票や装置画面の画像を学習データに用い、読み違えやすい癖字や独自の記号に合わせて調整できます。社外にデータを出さず処理したい場合は、自社環境で動かすローカルLLMも選択肢です。
連携面では、RPAやAPI開発まで含めた設計が効果を左右します。APIでMESや基幹システムへ直接書き込む、RPAで既存画面への入力を代行するところまで設計すれば、担当者の作業は例外対応の確認に絞れます。なお請求書など国税関係書類は、国税庁のスキャナ保存制度の要件も確認が必要です。
参照元:arXiv:2601.04368(2025年11月26日投稿)https://arxiv.org//国税庁「電子帳簿保存法一問一答【スキャナ保存関係】」https://www.nta.go.jp/
製造・製薬のAI OCR導入事例|他社3件と弊社の取り組み

ここでは、製造・製薬の帳票にAI OCRを適用した事例を、各社が公表している事実の範囲で紹介します。どの事例も「読み取り後の工程まで設計した」点が共通しています。
日立システムズ:化学系製造業の試験成績表1,000種類超をAI OCRとRPAで取り込み
日立システムズが公開する化学系製造業の事例では、原材料に添付される試験成績表が1,000種類以上あり、目視での読み取りと基幹システムへの手入力が属人化していました。
AI OCR「DX Suite」で読み取った値を、RPAが取引先ごとに異なる試験項目名や単位を自社の形式に変換して登録し、担当者の作業を確認に限定しています。様式のばらつきを読み取り後の変換ルールで吸収した例で、データベース化により不良時の要因分析ができるようになったと説明されています。
参照元:日立システムズ「化学系製造業 AI-OCR『DX Suite』とRPAの事例」https://www.hitachi-systems.com/
エンプラ(NTT東日本):樹脂成形の成形条件表約6,000枚を約2か月でデータ化
長野県佐久市でプラスチック成形を手がけるエンプラは、NTT東日本のAI OCR「AIよみと〜る」を使い、紙で保管していた成形条件表約6,000枚を約2か月でデータ化しました。現場はタブレットでの参照に切り替わり、入力ミスの減少や検索時間の短縮につながったと報じられています。
過去帳票の一括データ化は既存SaaSが向く典型例で、定型の条件表という対象の選び方が効いています。
参照元:マイナビニュース「NTT東日本のAI-OCRで地方の中小企業が紙書類をデータ化」(2022年7月12日)https://news.mynavi.jp/
武田薬品工業:EYと共同でAI OCRと機械学習を組み合わせた固定資産業務の自動化
武田薬品工業は2025年12月、EY税理士法人と共同で、AI OCRと機械学習AIを組み合わせた固定資産業務の自動化ソリューションを開発したと発表しました。対象はサプライヤーから届くPDFや紙の見積書で、形式や表記が多様な書類です。
AI OCRは2025年11月から本格導入され、年間約1,000時間超を要していた工数の大幅な削減を見込むとしています。製造記録ではなくファイナンス領域の事例ですが、製薬企業が非定型書類にAI OCRと機械学習を重ねた公表例として参考になります。
参照元:武田薬品工業 ニュースリリース(2025年12月11日)https://www.takeda.com/
Cyto-Facto(EQUES):製造現場の装置画面を読み取りMES・LIMSへ自動入力
弊社の開発事例として、細胞・遺伝子治療分野のCDMOであるCyto-Facto様との取り組みがあります。同社の製造現場では通信機能のない機器が多く、液晶パネルや制御PC画面の情報を作業員が手作業で記録していました。
従来のOCRでは操作性と読取精度の両立が難しく、弊社は画面画像を読み取りMESやLIMSへ自動入力するAI-OCRシステムを開発しました。日本語・英語の音声入力による修正機能を備え、業界特有の規制対応を見据えた設計に取り組んでいます。
サンプル画像では100%の認識精度を確認しました(対象を限定した検証時点の結果)。詳細はCyto-Facto様導入事例をご覧ください。
AI OCR導入で失敗しない進め方|PoCとデータインテグリティの観点

事例に共通するのは、対象帳票の選び方と読み取り後の工程設計です。製薬の製造記録・試験記録に適用する場合は、さらに記録の信頼性(データインテグリティ)をどう保つかが設計の前提になります。規制の要点と、PoCで確かめる項目を整理します。
GMP省令とALCOA+の観点で確認すること
GMP省令第20条第2項(2021年改正で追加)は、記録に欠落・不正確・不整合がないよう継続的に管理し、不備が判明したら原因を究明して是正することを求めています。改正時の厚生労働省通知は、この目的を「継続的に信頼性(いわゆるデータ・インテグリティ)を確保するため」と説明しています。
国際指針のPIC/S PI 041-1(2021年7月発効)は、記録が満たすべき性質をALCOA+(帰属性・判読性・同時性・原本性・正確性+完全性・一貫性・永続性・可用性)として整理しています。AI OCRの出力をGMP上の記録として扱うなら、これらの要求の対象になると考えて設計するのが安全です。
AI OCRに当てはめると、確認すべき点は3つです。読み取り結果と原本(紙や画像)の対応を残すこと、誰がいつ確認・修正したかを監査証跡として残すこと、修正前の値を消さないことです。読み取り精度の検証だけでは、この3点は満たせません。
手書きの紙記録自体にも弱点があります。日本PDA製薬学会が2024年2月のPMDA GMPラウンドテーブル会議で示した推定では、国内1,500以上の医薬品製造所のうち紙の指図書に手書きで記録する製造所が1,000超あり、監査証跡が残らない・判読しにくい・転記ミスが起きる点が弱点とされています。
紙記録を残しつつAI OCRで転記を機械化する構成は、転記ミスを減らす一方で、監査証跡や同時性は別途設計が要るという整理になります。
データインテグリティの基礎はデータインテグリティの解説記事、GMP文書の種類と管理の考え方はGMP文書の記事とGMP文書管理の記事もあわせてご覧ください。
参照元:GMP省令第20条(e-Gov法令検索)https://laws.e-gov.go.jp/
参照元:厚生労働省 薬生監麻発0428第2号(令和3年4月28日)https://www.mhlw.go.jp/
参照元:PIC/S PI 041-1(2021年7月1日発効)https://picscheme.org/
参照元:日本PDA製薬学会 資料(2024年2月16日・PMDA掲載)https://www.pmda.go.jp/
PoCで確かめる4つの項目
要件が整理できたら、PoC(概念実証)で小さく確かめます。製品のデモではなく、自社の実物帳票で、読み取り後の工程まで通して測るのが失敗しない条件です。確認する項目は次の4つです。
- 自動化率:人の確認なしで通過した帳票の割合(文字単位の認識率ではなく)
- 例外処理:誤読や読み取り不能が出たときに、誰がどの画面で直すか
- 連携:MES・LIMS・基幹システムへどの形式で、どの頻度で渡すか
- 証跡:原本との対応、修正履歴、修正前の値が残るか
自動化率はPoCの合否を決める指標で、帳票単位の実測値を前提に工数削減を見積もります。例外処理と連携まで動かしてみると、削減できる工数と残る工数が具体的な数字で見えるようになります。
証跡は、GMP文書に適用する場合の必須項目です。証跡が残らない構成なら、読み取り結果を「参考値」として扱い、正式な記録は別途作成する運用に切り替える判断もあります。PoCの一般的な進め方はPoC検証の記事で解説しています。
製造・製薬の帳票AI OCRを支援するEQUESの体制

AI OCRの成果は帳票の選び方と工程設計で決まりますが、社内にAIと規制の両方に通じた人材がいないと、PoCの設計自体が難しいのも実情です。
東京大学松尾研発のAIスタートアップである弊社EQUESは、製薬の品質保証領域でQAI Generator・QAI Checkerを提供するほか、伴走型の技術開発で製造現場の記録自動化に取り組んできました。先述のCyto-Facto様の事例はその一つです。
開発の前に「自社の帳票にAI OCRが向いているのか」を相談したい場合は、AI×DX寺子屋をご利用いただけます。AIやDXの困りごとに東大出身のAI専門家がチャットで回答するサービスで、プランAは月額20万円で相談し放題、月1回のオンラインミーティングが付きます。プランBは応相談です。
小さく検証してから本開発に進みたい場合は、PoCサービス「ココロミ」をご検討ください。その他の実績は実績紹介ページをご覧ください。
AI OCR導入の課題に関するよくある質問

最後に、製造・製薬の帳票でAI OCRを検討する際によくいただく質問をまとめます。既存SaaSと開発のどちらを選ぶかで迷いやすい論点にお答えします。
なくなるとは限りません。文字単位の認識率と、人の確認なしで処理できる帳票の割合(自動化率)は別の指標です。効果の見積もりは後者を基準にすることをおすすめします。
書類の状態や書き手による差が大きく、一律にはお答えできません。自社の実物を用いた検証で確認するのが確実で、必要に応じて自社データによる追加学習で改善を図れます。
読み取り精度だけでは判断できません。原本との対応、確認・修正の監査証跡、修正前の値の保持といったデータインテグリティの要件を、システムと運用の両面でどう満たすかが前提になります。満たしにくい場合は、読み取り結果を参考値として扱う運用も選択肢です。
まとめ:AI OCR導入の課題は帳票の選び方と工程設計で解決する

製造・製薬の帳票でAI OCR導入がつまずく原因は、製品の認識率ではなく、帳票の選び方と読み取り後の工程設計にあります。本記事の要点を改めて整理します。
- 課題は、認識率と自動化率の混同、工程の分断、自社固有の様式への未対応、GMP文書における記録の信頼性の4点にある
- 定型帳票の一括データ化なら既存SaaS、様式のばらつき・MES/LIMS連携・規制対応が重なるならLLM補正やカスタム開発が選択肢になる
- 他社事例に共通するのは、読み取り後の変換・連携まで設計し、担当者の作業を確認に絞ったこと
- GMP文書に適用するなら、GMP省令第20条とALCOA+の観点で原本との対応・監査証跡・修正前の値の保持をPoCで確かめる
自社の帳票でどこまで自動化できるのか、既存サービスで足りるのか開発が必要なのか。見極めにお困りの際は、お気軽にご相談ください。最後までお読みいただき、ありがとうございました。