記事の要約
- 技能伝承とは、熟練者が長年かけて身につけた知識や判断を次の世代へ引き継ぐ取り組みで、人材構成の変化により多くの現場で時間的な余裕が失われています。
- AIで扱える技能は一様ではなく、文書に残る知識・身体で覚えた技能・判断の技能に分けると、それぞれに適した技術と難易度が見えてきます。
- 取り組みの出発点は、伝えたい技能を洗い出して優先順位をつけることであり、どの技能から着手するかの見極めが成否を左右します。
「あの人が辞めたら、この工程は止まる」。そう分かっていながら、日々の生産に追われて手を打てないまま時間だけが過ぎていく。技能伝承の課題は、多くの製造現場でこうした形で放置されています。
近年はAIを使った技能伝承に注目が集まっていますが、「ベテランの技をAIに覚えさせる」という漠然とした目標のままでは、どこから手を付ければよいのか分かりません。
本記事では、技能伝承がうまくいかない構造的な理由を整理したうえで、伝えたい技能を3つに分類し、それぞれにどの技術が向いているのかを具体的に示します。弊社が実際に熟練技術者のノウハウをAI化した開発事例も紹介するため、自社のどの技能から着手すべきかを判断できるようになります。
目次
なぜ今、技能伝承にAIが必要とされているのか

技能伝承にAIが求められる最大の理由は、従来の方法である「時間をかけて隣で教える」が成立しにくくなっているためです。製造業の就業者数は2024年の1,046万人から2025年には1,033万人へ減少しました。1年で13万人の働き手が現場から消えた計算で、教える側の人数そのものが減っています。
人手の逼迫は現場の実感にも表れています。中小企業における製造業の従業員数過不足DIは2025年にマイナス17.9となり、人手不足は感染症拡大前の水準に戻っています。現場に余剰人員がない状態では、教える側も教わる側も通常業務を抱えたままになり、計画的な育成の時間を確保できません。
さらに深刻なのが人材構成の変化です。2002年以降、製造業では34歳以下の若年就業者が減少する一方、65歳以上の高齢就業者は増加してきました。
技能継承を進めるための取組として最も多く選ばれているのは、再雇用や勤務延長によって高年齢の従業員に継続して勤務してもらう方法で、その割合は54.8%にのぼります。半数を超える企業が、技能を移すことではなく、技能を持つ人に残ってもらうことで当面をしのいでいる計算です。
これは問題の解決ではなく先送りであり、期限が近づいているという認識が広がっていることが、AI活用への関心につながっています。
参照元:経済産業省・厚生労働省・文部科学省「2026年版ものづくり白書」(2026年5月公表。DIは中小企業庁「中小企業景況調査」2025年12月、技能継承の割合はJILPT「ものづくり産業における雇用・定着と技能継承に関する調査」2026年5月による)
技能伝承がうまくいかない3つの理由

AIの話に入る前に、なぜ従来のやり方で伝承が進まなかったのかを押さえておく必要があります。原因を取り違えたままツールを導入しても、同じ壁に突き当たるためです。現場で繰り返し観察される理由は、次の3つに整理できます。
- 言語化の壁:熟練者自身が、自分の判断根拠を説明できない
- 時間の壁:教える時間が業務の中に組み込まれていない
- 検索性の壁:マニュアルは作ったが、必要なときに見つけられない
最も根深いのが言語化の壁です。熟練者に「なぜこの条件にしたのですか」と尋ねても、返ってくるのは「音が違うから」「感覚で分かる」といった答えであることが少なくありません。本人に隠す意図はなく、判断が無意識化しているために言葉にできないのです。
この状態では、聞き取りによるマニュアル化そのものが成立しません。
次に時間の壁です。技能伝承は重要ではあっても緊急ではないため、常に日々の生産より後回しになります。制度として教育時間を確保しない限り、現場の善意だけでは続きません。
そして検索性の壁があります。苦労してマニュアルを整備しても、数百ページの文書から必要な1行を探すのは困難です。結局は「先輩に聞いたほうが早い」という状態に戻り、文書は更新されなくなります。
技能伝承にAIが効くとすれば、この3つ目の検索性の壁と、1つ目の言語化の壁に対してです。
技能を3つに分けるとAIの使いどころが見える

技能伝承のAI活用でつまずく最大の原因は、性質の異なる技能をひとまとめに扱ってしまうことです。「ベテランの技」と一言でまとめられている中身には、書けば伝わる知識も、書いても伝わらない感覚も混在しています。そのため、同じ方法で扱おうとすると、多くの場合どこかで行き詰まります。
伝えたい技能を次の3種類に分けると、必要な技術と実現の難易度、そして着手すべき順序がはっきりします。自社の課題がどれに当たるかを確かめながら読み進めてください。
1. 文書に残っている知識
対話で引き出せるようにします。作業標準書、過去のトラブル報告、設計基準、議事録といった、すでに文字になっている知識が対象です。
この領域は現在最も実用性が高く、社内文書を検索対象として大規模言語モデルに回答させるRAGという仕組みを使えば、「この不具合が出たとき過去はどう対処したか」といった質問に、根拠となる文書を示しながら答えられます。
日常的なチャットのように尋ねるだけで答えが返る形が実現できるため、検索性の壁を直接解消できます。
注意点は、回答の根拠となる元の文書を必ず表示させることです。根拠が示されなければ、現場は出力を信用できません。
社内データを外部に出さずに運用したい場合の構成については「情報漏洩を防ぐ「ローカルLLM」開発の全貌|要件・RAG構築・導入ステップまで徹底解説」で解説しています。
2. 身体で覚えた技能
センサーと画像で捉えます。溶接の運棒、研磨の力加減、異音の聞き分けなど、身体の動きや感覚に紐づく技能が該当します。この領域は言葉による伝承がほぼ不可能なため、まず計測してデータに変えることから始めます。
作業者の動きをカメラで記録して熟練者との差分を可視化する、機械の振動や音を収集して正常と異常の境界を学習させる、といった方法が中心です。ここでの現実的な目標は、熟練者と同じことをAIにさせることではなく、新人が自分の作業のどこがずれているかを自分で確認できる状態を作ることにあります。
教える人の負担を減らすという観点で効果を測ると、投資判断がしやすくなります。
3. 判断の技能
モデル化して提案させます。複数の条件を比べ合わせて最適な選択をする技能、たとえば材料の特性と納期を見て加工条件を決めるような判断が対象です。3つの中で最も難しく、同時に最も価値が高い領域でもあります。
過去の判断結果と、そのときの条件をデータとして揃えられれば、AIが「この条件ならこの設定が使われてきた」という提案を返せるようになります。
重要なのは、AIに決めさせるのではなく候補を出させることです。最終判断を人が担う形にすれば、AIが誤った提案をしても現場が止まることはありません。
技能伝承を含む製造現場のDXがなぜ進まないのかは、製造業DXが進まない理由と失敗事例の記事で原因別に解説しています。
技能伝承にAIを活用した事例|他社の取り組みと弊社の開発事例

ここからは、実際の取り組みを紹介します。技能伝承のAI活用は各社が公表を始めた段階にあり、成果の数値が出ているものから研究開発段階のものまで幅があります。前章の3分類のどれに当たるかを意識して読むと、自社に近い型が見つけやすくなります。
まず公表されている他社の取り組みを3つ、続いて弊社が手がけた開発事例を2つ取り上げます。いずれも「言葉になっていない知見をどう扱ったか」という観点で比べてみてください。
他社の取り組み:過去事例の生成AI・インタビューAI・映像AI
旭化成:過去事例を対話で引き出す生成AI
旭化成は2024年12月、製造現場の技術伝承に生成AIの活用を開始したと発表しました。過去事例のデータを読み込ませた生成AIを使うことで、経験の浅い従業員でも抜け漏れなくリスクと対応策を洗い出せるようになったとしています。
文書として残っている過去の事例を対話で引き出す形で、前章の1つ目の型にあたります。同社は材料の新規用途探索でも生成AIを使い、膨大な文献データから6,000以上の用途候補を考案し、ある材料では候補の選別にかかる時間を従来の約40%に短縮したと公表しています。
コニカミノルタジャパン:インタビューAIで技能をマニュアル化
コニカミノルタジャパンは2024年11月、オンラインマニュアル作成・運用サービス「COCOMITE」に「AI技能伝承インタビュー」機能を搭載しました。
認知科学を活用した生成AIが技能者にインタビュー形式でヒアリングを行い、その音声データをもとにマニュアル化までを自動で行う仕組みで、約30分のインタビュー後に自動生成された下書きを確認・修正して完成させます。
静岡県富士市の製造業2社と常葉大学の認知科学の専門家との実証を経て、ベータ版の無償提供から始まっています。熟練者自身が説明できないという「言語化の壁」に、質問の仕方から踏み込んだ例です。
日立製作所:作業動画から手順を抽出する映像AI
日立製作所は2026年9月、動画から作業手順の区切りと作業内容を自動的に抽出する映像AI技術を開発したと公表しました。
同じ道具や部品が映り続けて1枚の画像では見分けにくい工程でも、手の動きや対象物の変化を時系列で捉えることで、見た目が類似した工程のフレーム単位の手順識別精度を従来手法と比べて約73%向上させたとしています。
熟練者の作業動画を手順書の作成・更新や技能継承・教育に活用しやすい形へ整理する用途を想定しており、前章の2つ目の型である身体で覚えた技能を扱う例です。研究開発段階の技術である点には注意が必要ですが、計測して残すという方向性を具体的に示しています。
参照元:旭化成「生成AIを新規用途探索の自動化や製造現場の技術伝承において活用開始」(2024年12月9日)/コニカミノルタジャパン「オンラインマニュアル運用サービス「COCOMITE」熟練技術を自動でマニュアル化する「AI技能伝承インタビュー」機能搭載」(2024年11月6日)/日立製作所 研究開発グループ「製造などの現場に向け、動画から作業手順を自動抽出し、見た目が類似した工程も精度よく識別する映像AI技術を開発」(2026年9月16日)
弊社の開発事例:設計ナレッジの提案と繊維種の判別
弊社が取り組んだ事例も、いずれも「言葉になっていない熟練者の知見をどう扱うか」に正面から取り組んだプロジェクトです。
SOLIZE PARTNERS:設計ナレッジの提案支援
日本で初めて3Dプリンターを導入したデジタルエンジニアリングのパイオニアであるSOLIZE PARTNERS株式会社には、AI PoCサービス「ココロミ」を提供しました。同社が抱えていた課題は、まさに「熟練技術者の頭の中にある情報をどうやってシステム化するか」というものでした。
この課題に対し、複数視点からの画像入力を用いて部品の特徴を網羅的に検出するというテーマを設定し、形状データから特徴を抽出して設計ナレッジを自動提案するAIの実現性を検証しました。
結果として、開発現場で直接活用できる水準の設計知識をAIが提示できることを確認しています。従来のように過去資料や文献を検索する手間をかけずに設計のヒントを得られるようになり、知見の再利用性が大きく高まりました。
同社が次のテーマとして挙げたのが、AIの判断根拠を人が理解できる形で示すXAI(説明可能なAI)です。技能伝承の文脈では、答えだけでなく理由が示されることが、現場に受け入れられるための条件になります。
ニッセンケン品質評価センター:繊維種判別技術の開発
もう一つの事例が、ニッセンケン品質評価センターとの共同での繊維種判別技術の開発です。同センターでは、化学分析に多変量解析を組み合わせることで高い識別精度を実現してきましたが、見た目や成分が非常に類似し、人間が確実に識別することが困難な繊維種が残っていました。
弊社がディープラーニングを適用した結果、多変量解析だけでは判別が難しかったサンプルのうち、最大で80%以上の精度での判別が可能になりました。
ここで重要なのは、人の知見をAIが置き換えたのではなく、人が積み上げてきた分析手法にAIの判断力を組み合わせた点です。技能伝承におけるAIの役割も、同じ形が現実的だといえます。
参照元:株式会社EQUES「SOLIZE PARTNERSが語る、製造業のDXにおけるAI活用のはじめの一歩」/「AIと化学分析を融合した繊維種識別手法の技術検討」
技能伝承AI導入の4ステップと失敗しない注意点

最後に、実際に進めるための手順を示します。ポイントは、技術の検討より先に「何を残すか」を決めることです。
- 失われると困る技能を洗い出し、影響の大きさと担い手の残り時間で優先順位をつける
- 優先度の高い技能が3分類のどれに当たるかを判定し、必要なデータを確認する
- 1つの技能に絞ってPoCを行い、現場の担当者に評価してもらう
- 運用の中で回答や提案を更新し続ける体制を決めてから本格導入に移る
注意点として、最初の洗い出しを省略しないでください。技能伝承の相談では「とりあえず社内文書を全部AIに読ませたい」という要望が出がちですが、対象を絞らないまま始めると、出来上がったものが誰の役にも立たないという結果になりやすいのが実情です。
もう一つの注意点は、4番目の更新体制です。作業標準が変われば回答も変えなければならず、更新されないAIは数か月で「間違ったことを言う仕組み」に変わります。誰がいつ内容を見直すのかを、導入前に決めておく必要があります。
弊社は東京大学松尾研発のスタートアップとして、こうした取り組みを伴走型で支援しています。AI PoCサービス「ココロミ」はスタンダードプランが月々250万円からで、検証テーマの設定から結果の分析、次のアクションプラン策定までを一貫して行います。
まずは技能の棚卸しから相談したいという段階であれば、月額20万円で相談し放題の「AI×DX寺子屋」もご利用いただけます。
製造業全体でのAI活用については「製造業のAI・生成AI活用事例|失敗しない導入とROIの考え方」もあわせてご覧ください。
技能伝承とAIに関するよくある質問

Q. ベテランが作った手書きのメモしか資料がありませんが、活用できますか?
手書き資料もAI-OCRで読み取れば学習や検索の対象にできます。ただし、書かれていない判断根拠までは補えないため、読み取ったうえで本人への確認を行う工程を組み合わせるのが現実的です。
Q. マニュアル作成そのものをAIに任せられますか?
既存の資料や作業記録をもとにした下書きの作成は可能です。一方で、内容が正しいかどうかの確認は熟練者が行う必要があります。作成の負担は減らせますが、承認の工程は残ると考えてください。
Q. 導入にはどのくらいの期間がかかりますか?
対象を1つの技能に絞れば、数か月単位で判断材料が揃うことが一般的です。対象を広げるほど必要なデータ整備が増えるため、期間よりも範囲の絞り込みが結果を左右します。
Q. 現場の高齢の従業員が使えるか不安です。
利用者を熟練者ではなく、教わる側の若手に設定すると定着しやすくなります。熟練者には知識の提供者として関わってもらう形にすれば、新しい操作を覚える負担は最小限で済みます。
まとめ

技能伝承にAIを活用する取り組みは、「ベテランの技をAIに覚えさせる」という発想では前に進みません。伝えたい技能を文書に残る知識・身体で覚えた技能・判断の技能に分け、それぞれに適した方法を選ぶことが出発点になります。本記事の要点は次のとおりです。
- 人材構成の変化により、時間をかけて隣で教える従来の方法は成立しにくくなっている
- 技能を3分類すると、RAG・計測・判断のモデル化という使い分けが見えてくる
- 着手の順序は、失われると困る技能の洗い出しから。更新体制を決めてから本格導入に移る
技能伝承は、一度仕組みを作れば終わりという取り組みではありません。だからこそ、最初に取り組む対象を正しく選ぶことが重要になります。
何から手を付けるべきか整理したい段階でも、お気軽にご相談ください。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
技能伝承へのAI活用をご検討の方へ
残したい技能の洗い出しから、1つの技能に絞った検証まで伴走します。